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お風呂の歴史

日本人はとても風呂好きと言われています。全国に温泉地があり、若い世代にも人気があります。自宅ではシャワーという人が多くても、スーパー銭湯や温泉を巡るのが大好きという人も少なくありません。世界規模で見ると3世紀にあった、1,600人が入浴できたというカラカラの浴場が有名ですが、それ以前の紀元前4000年頃の古代ギリシャ以前にメソポタミア風呂も見つかっています。ここでは日本人が大好きなお風呂の歴史を日本に焦点を当てて遡ってみましょう。

奥が深い!

日本は火山国で、日本列島のあちこちに火山があり、多くの場所に温泉が湧いています。太古の昔の人々は、こうして沸き出ているお湯に浸かっていたと言われています。 日本に室内でお湯を使って入ることが伝わったのは、仏教と共に中国から伝わったと言われています。その最初の場所は寺院だったとされています。身体を清めると言う宗教的な儀式として取り入れられ、日本最古の浴場は東大寺の『大湯屋』とされています。これが公衆浴場の発祥と言えるでしょう。公衆浴場は無料で入れるところがほとんどでした。 鎌倉時代、室町時代と時代が流れると共に、町湯と呼ばれる湯屋が、鎌倉や京都に登場します。裕福な屋敷では自宅に風呂場を構え、お金のない公家は町湯を使ったと言われています。

銭湯の登場

銭湯は、入浴料をとって一般の人に入浴してもらう施設です。銭湯の発祥は、江戸時代の少し前、伊勢与一という人物が、天正19年に江戸の銭瓶橋に湯屋を開業したのが始まりと言われています。現在のような湯船に浸かるようなものではなく、蒸し風呂であったと言われています。 湯屋が開かれた頃の江戸はまだ荒野で、商売としてやって行くには困難でしたが、やがて徳川家康が江戸幕府を開き、土地はきれいに整備され、江戸には多くの人々が入ってくるようになり、湯屋もそれに伴うように増えていきました。

江戸時代に栄えた銭湯

江戸に登場した銭湯は蒸し風呂でしたが、この蒸し風呂は江戸末期まで続きました。下半身は、膝くらいまでお湯がはられた半身浴のようなもので、上半身は湯気を浴びるものでした。湯気を逃さないように柘榴口というものがつけられ、入り口を狭くして窓もつけられていなかったので、中は真っ暗だったと言います。浴衣のような湯浴み着を着て入浴したとも言われていますが、当時の銭湯は混浴で、風紀を乱す行為もあったようです。 真っ暗なために、入るときには中にいる人に合図をし、中にいる人は存在を知らせるために咳払いで返事をしたりしていました。 江戸時代の三大改革の1つでもある天保の改革により、男女混浴が禁止されましたが、ちゃんと守られることは少なく、男女の入浴時間を区切って分けたり、日によって入れる性別を決めたりしていました。それでも銭湯は、庶民の社交の場としても機能していて、大変人気を呼びました。

据え風呂

それまで蒸し風呂だったものが、据え風呂と呼ばれる首まで疲れる風呂が登場します。湯屋には湯女と呼ばれる女性がいて、昼間は入浴客の垢を流し、夜になると一般の入浴客を断って、脱衣場を座敷にし、三味線を弾いて客をもてなしました。やがて湯屋は花形産業へと発展し、2階が作られ、サロンとして使われるようになります。銭湯は江戸の人々にとって憩いの場になっていきます。やがて江戸幕府は、湯女は風紀を乱すとのことで、湯女を置いている銭湯を強制的に撤去して、働いていた湯女は遊郭・吉原へと移されることになりました。

明治時代の風呂

明治になると、完全に男女混浴が禁止となり、男女分かれた風呂が登場します。番台で入浴料を払い、脱衣所で着物を脱ぎ、知り合いとお喋りしたり、湯船で歌を歌ったりと、のんびりした情景が繰り広げられていました。

現在のお風呂

戦後、高度成長期を経て、貧しい時代に銭湯に通った時代から、内風呂の時代へと移り変わります。木の浴槽の風呂釜に木をくべてお湯を沸かしたお風呂から、やがてタイルの使われた浴槽、ユニットバスへと変換していきます。

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